ハッピーバースデイ・マイラブ
不意に浮かび上がった意識に紫穂はゆっくりと目を開いた。なめらかに夜道を走るセダン。窓には寝ぼけたような自分の顔が映っている。掛けられた上着はすぐに賢木の物だと分かった。
「起きたか?」
バックミラー越しに運転席にいる賢木と目が合った。紫穂は小さく肩を振るわせると賢木の上着の中で身を縮ませた。
「薫ちゃんたちは?」
「紫穂ちゃんだけだよ。覚えてるか?迎えに来いって呼び出しただろ。」
「え?掛けた、かも?」
賢木は前を向いたまま仕方なさそうに笑った。窓の外に目を凝らしてみれば確かに皆本の家から紫穂の家に向かうルートだった。
久しぶりの皆本の手料理と大事な友人たちに囲まれて少し飲み過ぎてしまったらしい。
「美味しかったな。」
「寝ぼけてんな。」
ぽつりと零れた紫穂の言葉に賢木は眉尻を下げて笑った。紫穂はムッとしてシートから背中を浮かせた。
「いいでしょ、別に。ていうか賢木センセイ、今日忙しいって言ってたじゃない。明日も朝めちゃくちゃ早いんでしょ。」
「おま、せっかく迎えに来たカレシにそういうこと言うなよ。」
思ってもいないクセに、と紫穂は胸中で悪態を吐くに留めた。
例年賢木がのけ者にされている紫穂の誕生日会に今年は賢木も参加予定だった。
そのはずが、二月に入ってから紫穂が賢木と顔を合わせたのはこれが二回目くらいだった。
コメリカとの共同研究を予定していた担当者の代理として賢木が急遽メンバーに組み込まれてしまったため、賢木と会う予定は全く組めなかったのだ。もっと言えば相手に合わせたスケジュールで賢木は昼夜逆転生活、この二週間は通話すらままならなかった。
「それで?進捗は?」
「やっと渡米準備終わったよ。明日のミーティングは無しになったから大丈夫。」
「ふぅん。」
「怒るなよ。ほら、もう着くぞ。」
窓の外に目を遣るとマンションのエントランスが見えた。賢木は静かに車を入り口に横づけた。
「帰るの?」
「うーん。どうしよっかな。」
試すような物言いとは違い、本当に何も考えてなかったような口ぶりに紫穂は眉尻を下げた。シートベルトを外すと運転席に向かって左手を伸ばした。
「泊まっていけばいいじゃない。明日早くないんでしょ。」
「うーん。」
「じゃあ、早く帰って寝たら。」
紫穂は賢木の頬を人差し指で一撫でした。賢木はその指先を掴んで唇を寄せた。
「疲れてるときに無理言ってごめんね。帰っていいよ。」
「ウソ。」
「修二は?」
「一緒に寝たい。」
「早く言いなさいよ。」
紫穂は小さく噴き出すと身を乗り出して賢木に口づけようとした。賢木は人差し指で紫穂の唇を押し止めると座席を下げて自分から唇を重ねた。
「誕生日おめでとう、紫穂。」
「ギリギリだけど、許してあげる。」
「はは、ありがとな。」
賢木は目を細めて笑うと、もう一度触れるだけのキスをした。
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お誕生日おめでとう、紫穂ちゃん|2022.2/12